令和2年1月6日
県指定「兜梅」は、2000年6月に枯死寸前まで衰退しましたが、土壌改良(盛り土除去)・葉面散布・接木などの治療により復元することができました(HPの施工例)。ところが2018年~2019年になり、植栽基盤(粘土質)の排水不良などが原因で再び衰弱し、加えて杉の根進入による新たな障害などが重なり、多数の枝枯れが発生しました(写真-1)。夏場の高温・乾燥・強光から「兜梅」を守るために早急に寒冷紗を張り(写真-2)、葉面潅水して夏を越しました。粘土層の硬度は山中式で「35」を計測(写真-3)。この数値は根系発育が困難な値です。暗渠排水の掘削中に停滞水が流入(写真-4)するような状態でしたがコルゲ-ト管で雨水層に集めてポンプアップして域外に排出しています。治療は土壌改良(暗渠排水工・エアースコップ)・葉面散布(活力剤)・杉根除去(写真-5)・乳酸菌混入などです。土壌分析では、EC値が低くて肥効がなく、有効態リン酸は欠乏、交換性塩基(石灰・苦土・加里)のバランスが崩れている土壌です。幹にはオオイタビカヅラが巻き付き、枝には蘚苔類が着生していたので除去(写真-6)しました。
老々介護の始まりですが、元気に回復していく様子を楽しみながらの治療です。
中国では、娘が嫁ぐときに梅苗を持たせ、実を成らせて妊娠時の食用にさせていたそうです。梅は、奈良時代前に薬木・鑑賞用として日本に持ち込まれ、 梅実は薬用(梅干など)として栽培・収穫されていました。「兜梅」の開花時期は2月初旬で、花色は濃い白で大輪の一重咲きで、花弁は厚みがあります。司馬遼太郎も感激するほど美しい「老梅」ですが悲しい天草伝説(エレジー)があります。それは天草合戦(1589年)で、木山弾正の妻「お京さん」が20人位の騎馬隊で突入する際に、この梅の枝に兜を取られ、女性であることが判り討ち死にしました。「お京さん」の辞世の句が「花は咲けども実は成らせまじ」です。事件後に梅実は成りません。なぜ梅の木を伐らないで、梅の実にこだわるのか? それは「兜梅」の梅実は品種改良(豊後系)された大粒で貴重な薬木と考えられ、その重要な役目を阻止する「実は成らさせない」ことで怨念を晴らしたのではないか。樹齢500年の「兜梅」は、それらの苦難を乗り越えて現在もなお“天草の宝物”として生き続けています。